『みんなと同じ』が苦手だった私——特性を抱えた少年期の学び

■ はじめに——「特性のある子」は特別な存在ではない

今日、学校現場では「特別な教育的ニーズ」「グレーゾーン」「発達特性」といった言葉が日常化しています。しかし、その言葉が一般化したことで、“みんなと同じようにできない行動” = “発達障害疑い” と短絡的に扱われる危険性も高まっています。

私は長年、県内の私立高校で勤務した後、特性のある子どもや不登校の子を支援する活動に携わってきました。そして、その根底には 「自分自身が“みんなと同じ”が苦手な子どもだった」という原体験 があります。

この経験は、今の学校現場にこそ必要な視点を、多く含んでいます。


■ 子ども時代の私は、「特性を抱えた子」そのものだった

小学生の頃の私は、典型的に“じっとできない”子どもでした。

・授業中に席を離れてしまう

・周囲の友だちに話しかけてしまう

・行事練習が苦痛で帰ってしまう

・集団競技では役割が理解できずに混乱する

後年になって振り返れば、これは**注意特性(多動・衝動)**に由来する行動パターンでした。

ただ、当時はまだ“発達障害”という言葉が一般化していない時代で、私は単に

「落ち着きがない子」

とみられていました。

しかし、ここで強調したいのは、

「特性があっても、周囲の環境次第で“問題児”にも“個性”にもなる」

ということです。

成績は良かったため、私が“問題視されなかった”だけのことです。

もし今の時代に同じ行動を繰り返していたら、おそらく何らかの検査を勧められ、特別支援の対象になっていたかもしれません。


■ 「みんなと同じように」は、標準化された環境の副作用

教育現場では「集団の秩序」を保つ必要があるため、教師は無意識のうちに「標準的な子ども像」を前提に指導してしまいます。

その結果、特性のある子は、

・落ち着きがない

・話を聞けない

・指示通りに動かない

と“問題行動”として扱われやすくなります。

しかし、本来「学級の標準」など存在しません。

存在するのは、さまざまな特性をもつ個々の生徒だけです。

私のように、

・座り続けることが苦手

・集団行動の意味が理解しづらい

・感覚刺激に強く反応する

といった子どもは、どの学級にも一定数存在します。


■ 家庭環境が“理解を補完”していたという事実

私が“学校不適合”とみなされなかった背景には、実は家庭の理解が大きく影響していました。

・親が学校からの呼び出しに柔軟に対応してくれた

・行事や集団活動を無理に押しつけられなかった

・「あなたはあなたでいい」と容認的だった

この“クッション”があったからこそ、私は「問題児」というレッテルを回避できたのです。

しかし、今日の学校では、

・保護者の多忙化

・学校からの要求の増加

・情報過多による不安感

が重なり、家庭が“クッション”として機能しづらくなっています。

すると、同じ特性をもった子でも、学校だけでトラブルが可視化されやすいという構造が生まれています。


■ 「できないこと」に敏感な社会——過剰診断とラベリングの問題

2022年の文科省の調査で、

「特別な教育的支援が必要とされる児童生徒が8.8%」

という報道がありました。

しかしこれは教師の主観による回答であり、“発達障害そのものの割合”ではありません。

この数字だけが独り歩きすることで、

“この子は発達障害かも”

“支援級の対象かもしれない”

というラベリングが加速します。

現場の先生方に最もお伝えしたいのは、

👉 「できない行動」=「障害」ではない

👉 行動は特性・環境・心理・関係性の“結果”である

という視点です。


■ 特性のある子にとって、学校は「高難度の環境」

私が式典や教室での授業が苦痛だったのは、

環境の要求レベルが、私の特性と合致していなかった

ただそれだけのことでした。

特性と環境の不一致が続くと、以下のような行動が生まれます。

・離席

・おしゃべり

・集団活動の拒否

・登校しぶり

・情緒不安定

これを「問題行動」と捉えるか、「適応困難」と捉えるかで、支援の方法は大きく変わります。


■ 特性のある子どもの“育ち”をどう支えるか

教育現場でできる最初のステップは、

**「特性」と「問題行動」を分けて考えること**です。

特性:生徒がもともと持っている傾向(注意・感覚・処理速度など)

問題行動:環境に適応しづらい結果として表れた行動

この区別ができると、

・生徒の責任にしない

・教師自身が追い詰められない

・支援の方向性が明確になる

というメリットがあります。


■ まとめ——子ども時代の私は、今の教育に問いを投げかけている

振り返れば、私は

**「特殊な子ども」ではなく「どこの学校にもいるタイプの子ども」**でした。

違うのは、

・周囲の理解

・家庭のクッション

・ラベリングされない環境

がたまたま整っていたことです。

今日の学校では、

同じ特性をもった子が “問題児”とラベリングされやすい環境にある

ということを知っていただければと思います。

そして、この連載では明日から、

その後私が特性を抱えたまま教員になり、

教師として何に直面し、どのように支援の視点を獲得していったのかを、

教育現場への示唆としてお伝えします。


📚 明日の予告

【火曜日】第2話:

「苦手を抱えたまま教師になる——“特性のある先生”が見た学校現場」

式典・講演会が耐えられない教員

黒板に文字をまっすぐ書けない悩み

制度が想定する“標準的な教師像”とその限界

を扱います。

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